カンヌ・ライオンズは、広告業界の内輪の賞か? 白雪姫の「魔法の鏡」か? 「表現の自由」の祭典か?

なぜチャレンジするのか?

では、そのチャレンジ精神をかき立てる魅力とは何だろか。

「Cannes Lions International Festival of Creativity」の魅力だ。日本だけではなく、世界中の広告人が競ってチャレンジしているように見える。この魔法のような広告賞の魅力とは、一体、何なのだろうか?

「Cannes Lions International Festival of Creativity」とは、たしかに、広告業界のイベントという衣装を纏っている。

いや、事実として、10年、20年前は、単なる広告業界のそれだっただろう。純粋に、一流の広告クリエイターとして評価されたい。そのような承認欲求、評価されることで得られる達成感、そして、受賞すれば、その後の仕事もうまく回る。

だが、今のカンヌは、おそらく、単なる広告祭ではなくなった。広告業界のイベントという装いは、ある意味で、世を忍ぶ仮の姿なのではないか。

このイベントの本当の目的は、私の直感的な印象では、「表現の自由」を世界に拡げることだ。「表現の自由」に共感し、感謝し、共に喜び、朝までカンヌのビーチで乱舞する。

「表現の自由」の祝祭であり、「表現の自由」の祭典である。初参加した私の目には、そう映った。

人類の普遍的価値にふさわしい土地

それは、このフランスという土地で開催されることにも意味があるはずだ。

ルイ16世のギロチン処刑を含む数え切れない犠牲者を出した18世紀のフランス革命を経て、フランスが国として掲げるスローガン「Liberté, Égalité, Fraternité:自由・平等・友愛(博愛)」という普遍的な基本的人権および市民倫理の要諦が生まれてきた。

この18世紀から連綿と受け継がれてきた人類的普遍的価値「自由・平等・友愛」を守り続けるために、おそらく、私が思うに、最も重要なのが「表現の自由」を維持し続けることだ。

「表現の自由」がなければ、貧困問題を訴えることもできず、不正を暴くこともできず、不平等を糾すこともできない。つまり、国連が掲げる「Common Ground」を推進することは難しい。

メディアの信頼性と普遍的価値

この「表現の自由」を守り、その恩恵を歴史的に享受し維持し続けてきた業界は、メディア業界、広告業界、マーケティング業界だろう。

ただ、テレビや新聞・雑誌に代表されるメディア業界は、20世紀後半には「第4の権力」といわれるほどに力を持ち、その行き過ぎた権力は、「市民の知る権利」を盾にして個人のプライバシー侵害報道を繰り返したり、やらせ報道や偏向報道、あるいは、メディア・パニッシュメントやメディア・リンチといわれる市民に対する社会的制裁を加えることも多くなった。

あるいは、日本では記者クラブという組織的問題もあり、もはや「第4の権力」というよりも「4つ目の権力」と自己批判する元記者もいるようになった。

そして、21世紀に入って、世界的なトレンドとして、マスメディアの信頼性は少しずつ低下した。

そこに、たまたま、インターネットの登場も重なり、個人ブログやSNSなどの普及に反比例する形で、マスメディアの視聴率や販売部数なども下がってきた。

一方で、20世紀末から21世紀初頭にかけて、急激に台頭してきたインターネットも未熟な点が多く、個人に対する誹謗中傷やサイバーストーカーやネットいじめのような人権侵害を繰り返しているし、いわゆる、ネット上の「炎上」も後を絶たない。

要するに、マスメディアからインターネットメディアまですべてのメディアを俯瞰したとき、崇高な人類の普遍的価値に照らしてみると、安全な場所など存在しないのだ。

広告表現は歴史的に倫理的なのではないか?

これは比較論であるが、広告業界・マーケティング業界は、マスメディアのようなプライバシー侵害などの「暴力」をおこなうことが少ない。不本意に不快なテレビCMを作ってしまうことはあるかもしれない。しかし、行き過ぎたジャーナリズムという偽りの「正義」を振りかざして間違った「表現の自由」を主張することは多くないはずだ。

また、広告業界やマーケティング業界は、ネット上の個人のように意図的な誹謗中傷をおこなうことはまずあり得ない。それに、サイバーストーカーのような非人道的な行為とも無縁だし、おそらくはネットの炎上からも距離を置こうとする。

つまり、すべてのメディア空間の中で、比較的安全な場所なのだ。

広告業界やマーケティング業界のコミュニケーションは、じつは、他と比べると、意外に倫理的で、人類の普遍的価値を表現しやすいという性質を持っている。

なぜ、そうなのか?

なぜなら、そこには、クライアントがいるからだ。

クライアントは本質的に市民を敵に回したコミニュケーションができない。善良な法人として、社会で受け入れてもらわなければ、企業として生存していくことができないからだ。

そのため、ジャーナリズムという名の「正義」を標榜することもない。「第4の権力」にも「4つ目の権力」にもなることはなく、市民の側にいて市民に支持されたいと思う。それがクライアントの本質だ。

近江商人の三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」にも表現されているように、ビジネスをおこなう主体は、社会の発展や福利・福祉の増進を願う。したがって、商業的コミュニケーションは、昔から、自ずと倫理的で人道から外れない。

国連が掲げる「Common Ground」を推進するために広告代理店をパートナーとして選んだ理由には、そのような背景があるのかもしれない。

BBCやCNN、NHKなどの国際的なメディアもパートナーになり得るとは思うが、電通、WPP、Havas、IPG、Omnicom、Publicis という Big Six の方が選ばれた訳だ。

マスメディアや報道はこれからも社会的に重要な役割を担っていくと思うのが、その光と影を知る者にとっては、人類の普遍的価値のプロモーションを無邪気にマスメディアや報道に委ねるのには躊躇するだろう。

そして、この21世紀に入って気づくのだ。広告業界が人類の普遍的価値「自由・平等・友愛」を背負う機関として、比較的(いや、おそらく現状では、最も)、適していると気づくのだ。

人類の普遍的価値に依拠するブランドが増えている

今回のカンヌで私は、 Cannes Lions Film部門のショートリストを中心に、250本ほどの作品を見た。その中には、笑える作品、泣ける作品、感動する作品など素晴らしいフィルムがたくさんある。そして、人類の普遍的価値「自由・平等・友愛」をプロモートする社会的な作品も数多くあった。

たとえば、「#EqualFuture – Pocket Money」というフィルムは、男女の賃金格差解消を訴えている。Gender Equality(男女平等)という価値に立脚したキャンペーンになっている。

同様に、「THE REAL 10 – #TheNew10」も、平等を扱っている。

「HOW TO GET PERFECT RED LIPS」は、あきらかに、反暴力を唱えるものだ。これは、市民の倫理としての友愛(博愛)の価値を反映している。

「I AM YOUR FAN」には、家族愛を感じることだろう。

「SUPER BOWL BABIES CHOIR」も、アメリカ的だが、家族愛を表現している。

「Marriage Market Takeover」は、固定概念に囚われずに自由に生きる権利を訴えている。これは、そのものズバリ「自由」を尊重するものだろう。

「SHOPLIFTERS」が今年の FILM 部門でグランプリを受賞した。この広告はイギリスの百貨店の Harvey Nichols がクライアントで、万引き犯を防犯カメラが捉えた映像を素材に使っている。これも、イギリスの社会問題としての万引き(犯罪)、その背景に所得格差や貧困問題が見え隠れしている。

背景にはグローバリゼーションがある

2010年ごろから、カンヌ・ライオンズでは、このような社会的作品が増えてきたと聞いている。この背景には、おそらく、グローバルな企業活動の拡大とコミュニケーションのグローバル化があるだろう。

1989年東西冷戦の崩壊と1991年ソ連崩壊をきっかけに、国家や地域の境界を超えて、社会的・経済的な連携が地球規模に拡大していった。いわゆる、グローバリゼーションの進展と加速である。

冷戦に勝利したアメリカは世界市場の支配と一極化に突き進み、世界中どこに行っても、マクドナルドがあり、コカ・コーラを飲めて、VISA・MasterCardで支払いができる世界を作ろうとした。ナイキの靴を履き、GAPで服を買い、スターバックスでコーヒーを飲む。そのようなアメリカ的な文化・生活様式が世界中に拡散した。

それと軌を一にして、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス、ラリー・ページ/セルゲイ・ブリン、マーク・ザッカーバーグなどが次々に登場し、インターネットとスマートフォンによって、コミュニケーションのグローバル化を推し進めた。

このグローバリゼーションで生まれた地球規模の多国籍企業(グローバル・ブランド)は、自らのアイデンティティを特定の国家や地域の文化、あるいは、特定の価値観に求めるのが難しくなった。

日本国内で日本人向けにビジネスをしているときは、日本人にだけ分かるメッセージを発信していても通用する。しかし、多国籍企業は、グローバルにビジネスをしている訳だ。自ずとコミュニケーションもグローバルに通用するもの、普遍的なもの、を好むことになる。

グローバル・ブランドのコミュニケーションは、普遍的価値の持つ磁力に引き寄せられるのだ。

その結果、人類の普遍的価値「自由・平等・友愛」など基本的人権を核にしたコミュニケーション戦略を作り、広告やマーケティングを実施するようになってくる。

グローバリゼーションはまだ未熟である

また、グローバリゼーションは多くの富をもたらしている一方で、フランスの経済学者であるトマ・ピケティがその著書「21世紀の資本」で指摘したように、所得格差や貧富の格差が経済のグローバル化によって進展したといわれている。

「資本市場が完全になればなるほど、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る可能性も高まる」という訳だ。

「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」では、2001年のノーベル経済学賞受賞者、ジョセフ・E. スティグリッツが、アメリカ・IMF主導のグローバリゼーションに異議を唱えている。

スティグリッツはグローバリゼーション自体にはメリットがあるとしながらも、アメリカの都合で進められるグローバル化は途上国の貧困をかえって悪化させているとして痛烈に批判した。

そして、そのようなグローバリゼーションの結果、多国籍企業による世界的な搾取が進行しているというネガティブな意見も広がりつつある。

このような状況を危惧したのだろう。フィリップ・コトラーのような近代マーケティングの父ですら「資本主義に希望はある」という本を著し、グローバリゼーションのネガティブな側面に対するカウンターを入れてきている。

したがって、多国籍なグローバル・ブランド側は、「私たちは市民の味方ですよ」というブランディングが必要になってくる。グローバ・ブランドの基盤であるグローバリゼーションを否定されるのは生死に関わる。だから、グローバリゼーションのネガティブな印象を払拭したくなるのだ。

人類の普遍的価値はグローバルに受け入れられやすい

そのため、市民の味方であることをグローバルに表現するための一つの手段として、人類の普遍的価値「自由・平等・友愛」など基本的人権に目を向けることになる。それは、国境を越えて受け入れられる価値だからだ。

2010年「アラブの春」とカンヌ・ライオンズ

このような背景の中で、「アラブの春」が勃発する。

2010年12月18日のチュニジアのジャスミン革命を端緒にアラブ諸国に広がった民主化運動は、SNSを中心とするインターネットによるコミュニケーションのグローバル化の力の大きさを明示的にした。と同時に、グローバル化による貧困問題、所得格差、若者の失業問題などが、アラブ諸国に蔓延していることも明らかにした。

アラブ諸国の反政府デモは、一歩間違うと、反米主義や反グローバリゼーションと背中合わせな状況だったのは容易に想像がつくだろう。

カンヌ・ライオンズで、人類の普遍的価値「自由・平等・友愛」を利用するブランドが増えた時期(2010年頃)と、この「アラブの春」、つまりは、アメリカを中心にしたグローバリゼーションの危機が呼応しているのは、時代の必然だろう。

ちょうど、今回のカンヌ・ライオンズ開催中に、「United Kingdom European Union membership referendum」(イギリスがEUのメンバーから抜けるかどうかの国民投票)が行われた。Brexit(イギリスのEU離脱)が過半数になった訳だが、カンヌに来ていた多くのイギリス人が残念がっていた。

ヨーロッパのグローバリゼーションは冷戦後に、1992年のマーストリヒト条約(欧州連合条約)の調印によって始まった。通貨統合によってユーロが生まれ、域内のヒト・モノ・カネの流れが加速した。だが、国境検査なくヒトが越境し移動できる自由を得た一方で、安価な労働力の流入と移民問題、および、移民に紛れてテロリストがヨーロッパ諸国に侵入するようになったと考えられている。

2010年「アラブの春」の影響が、2016年のBrexit(イギリスのEU離脱)の背後にある。

多くのブランドが当然、グローバリゼーションに好意的だ

カンヌ・ライオンズの表彰式やセミナーの壇上で、今回のBrexitについて触れる登壇者が何人かいた。パーティーの席でも話題になった。彼らは皆、イギリスのEU離脱には反対の意見だった。貧困問題、移民問題、テロ問題などがあっても、グローバリゼーションを推し進めること自体は、悪いことだとは考えていない。

なぜなら、カンヌ・ライオンズの参加者は、その多くが、特に欧米人は、グローバリゼーションの恩恵を受けているグローバル・ブランド、あるいは、グローバル・ブランドと仕事をする代理店だからだ。

したがって、グローバル・ブランドのコミュニケーションは、多かれ少なかれ、グローバルな政治・経済・社会・文化などの時代の流れ、国際情勢、国際的な課題に影響を与えるし、同時に、影響を受ける。そして、カンヌ・ライオンズは、その流れを反映することになる。

つまり、カンヌ・ライオンズは、「世界を映す鏡」なのだ。

地球規模に進展するグローバル社会の中で生息するブランドは、引き続き、ある程度の確率で、人類の普遍的価値を拠り所にしてメッセージを発信してくるだろう。アイデンティティをそこに求めることになるだろう。

したがって、逆に言えば、世界経済が順調で、安定した時代には、そのような人類の普遍的価値に依拠したコミュニケーションは減るのかもしれない。そして、比較的ローカルなビジネスをおこなう企業は、そのような世界的に通用するアイデンティティを必要とせず、人類の普遍的価値を拠り所にすることは少ないのかもしれない。時代状況によっては、社会的な作品は減って、広告クリエイティブとして、純粋に面白い作品が増えるのかもしれない。

「Cannes Lions International Festival of Creativity」の魅力は、そこにある。つまり、魔法のような魅力で、世界のクリエイターを惹きつける原動力は、その「世界を映す鏡」の力だ。

カンヌ・ライオンズはプリズムのように世界を映す

まず、一見すると、広告業界の評価だけを反映するように見える。業界内部の内輪の賞であり、「業界を映す鏡」としの顔がある。

と同時に、世界中から集まってくる作品にはその土地の状況とインサイトを理解していないとわからないものも数多くある。そのため、特定の地域だけで通用するローカルな価値観をも「反映する鏡」にもなっている。

だが、それを超越して、世界で一番美しい女性を映し出す「白雪姫」の魔法の鏡のような側面がある。側面というよりは、それが本質ではないか。

全世界で地球規模に進展する課題に対して革新的なアイデアでソリューションを提示しようとする広告クリエイターに光を射し、そして、映し出す。そんな夢のような「魔法の鏡」でもあるのだ。

だから、「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」とみんな集まってくる。

カンヌ・ライオンズという「魔法の鏡」に世界中の広告クリエイターがチャレンジしたいと思うのだ。この「魔法の鏡」に自分の姿を映し出して欲しいのだ。

なぜなら、業界内部の価値観、ローカルな価値観、そして、グローバルな価値観など、多重に層を持つ、あるいは、多面的なプリズムのように、様々な視点で世界一を映し出してくれるからだ。

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