【コラム】ネット広告のコンサルタントやオペレーターのキャリアパスを考える

もう現場はやっていないんですよ

私はネット広告、デジタルでのマーケティングの仕事に就いて14年ほど経つ。その前はアナログ、紙中心の仕事を7年ほどやっていたので、デジタルでの業界キャリアがアナログの2倍くらいになる計算だ。


ネット広告、とりわけリスティング広告など運用型広告出身の若手とお話していて、気になる言葉がある。昨今の業界トレンドやニュース、トピックなど、ひとしきり話したあと、「でも、僕(私の場合も)はもう現場やっていないんですよ」という言葉だ。


これは、自分が在籍していた会社の方からも、また自分が在籍していた会社から見れば競合にあたる会社の方からも、さらには事業会社側で運用型広告を担当されていた方々からもたびたび聞く言葉だ。つまり、会社を問わず広く運用型広告を担当されていた方々から同じように聞く言葉であるということ。かつて運用型広告に担当として没頭していたが、今はマネジメント職についたり、違う職種に転じたため現場をやっていない、という意味合いで発せられた言葉なのだと思う。


気になるのは、「もう現場はやっていないんですよ」という言葉が発せられる際に、一様にちょっと嬉しそうに、胸を張っておっしゃる事だ。気持ちはよく分かる。得意先や上長にほぼ数字”だけ”で評価され、昼間は得意先訪問や打ち合わせがぎっしり詰まっていて、その後で夜遅くまでレポート作成やアカウントの改善業務、永遠に続くような単純作業(に近い)ような事をこなし、運用型広告だけでは成果は改善しないことが分かっていながらそれだけを求められる毎日から晴れて卒業できた、ということは、それは嬉しいに決まっている。現場(運用担当者)とマネージャーの間にヒエラルキーがある場合は、なおさらその傾向が助長されるだろう。


でも、自分は「もう現場はやっていないんですよ」と聞くたびに複雑な気持ちになる。運用型広告はこの十数年で大きく伸び広告市場の一大勢力となった。コンプラや自動化ツールの整備による業務改善も浸透している。しかしそれでもなお、それが生み出した闇や大きな機会損失が同時にそこで発生しているように思えるからだ。


現場歴20年、30年のすごい人たち

一方で、ネット広告業界の外を見ると、ずっと現場に立ち続けて20年、30年やっている人がごろごろいる職場もある。ある会社の担当を長年担っており、その会社の商材や市場、顧客、業界の構造や会社組織を知り尽くしていて、張り巡らされたパイプラインや知見を使ってあらゆる期待に応えていく人がいる。生徒の前に長年立ち、一見毎日同じような授業をしているように見えるが、昨日より今日、今日より明日もっと良い授業を、生徒指導をしていこうと腕に磨きを掛け続ける先生もいる。


そういった方々と話をしていて思うのは、例え自分の業界外の話であっても、その話の核心を捉えて打ち返す能力が非常に高いということだ。デジタルやネット広告の用語、トレンドは知らなくとも、話の芯を捉えてそれが世の中をどう動かすのか、自分の引き出しの中にある知識や経験との類似性や関係性を見つけ出し言語化する力があるということ、話の全体像をあっというまに理解し自分のものにする能力が高いということ。一見デジタルとは縁が遠そうな方から驚くほど筋の良いレスポンスや質問を返されることも結構ある。


ネット広告業界では新卒で入社して、早ければ20代後半でマネージャーになり現場から離れることがある。若いマネージャーや経営者が出てくる事は業界の新陳代謝を進め進化のスピードを上げるうえで有益である。


一方で、現場で高度な取り組み、スケールの大きい仕事をしていくほどに、他業界の20年選手、30年選手と一緒に仕事をする機会が増えていく。広告の課題は広告だけでは解決できなくなっている。そのような現場でほぼ若いメンバーで構成されるネット広告会社に対して、他業界のメンバーは技術人脈知見の豊富なメンバーで構成されていることが多い。当然ネット広告会社にも優秀な人が多いが、同じ程度に優秀であるならば、技術人脈知見の豊富な方がプロジェクトのイニシアチブを取る際、圧倒的に有利になる。


そしてもう一つの問題として、現場を離れマネージャーになった人のうち、自分の存在価値や中間管理職としての手応え感を感じにくくなった少なくない人が他の業界や会社へ転じて行き、技術や取り組み、人脈が継承されず、会社としてのアセットの蓄積が進まないということがあると思う。現場で腕のいいコンサルやオペレータとして活躍していた人がマネージャーに昇進してしばらくすると転職するケースが多い理由はここにある。


そのような状況の中で、腕のいい若い方々から笑顔で「もう現場はやっていないんですよ」と聞くと、昇進を祝福する気持ちと、必ずしもそれが当人にとって有益なことになるとは限らないことを思うと、複雑な気持ちになる。


キーワードは実はキーワードではない?

ネット広告、運用型広告は今もすごいスピードで進歩している。オートメーション、AI、デジタルの尖った技術がどんどんサービスや商材に反映されていて、そのバリエーションと活用ノウハウは広さ深さとも簡単にキャッチアップできないレベルになっている。少し前までは、Googleを知ることは自分たちの未来を知ることだ、と言われてきたが、Googleだけでなく、FacebookやAmazonも自社の強みやアセットを活かした新しいサービスを市場に投入し続けていて、いわゆるGAFAに加えてヤフーやLINE、楽天など日本ローカルに強い広告サービス提供社、MAやSFA、BIなどのプラットフォームとの連携、さらにそういったサービスや技術の理解を前提とした生活者への洞察、言語化可視化、コミュニケーション全体の設計やメッセージ開発など、現場から遠ざかるとあっという間に取り残されてしまうほどに、覚えるべきこと、実践として自ら取り組むべきことは多い。


こういった現状を見ると、現場を数年やって卒業してマネジメントコースに進む、という形ではとても市場の要求に追いつかないということが分かるし、逆の見方をすれば、ネット広告、運用型広告市場が随分と成熟し、今では広さ深さ奥行きを持つに至った、ということもできると思う。


自分のデジタルでのキャリアは、リスティング広告が爆発的に市場を伸ばした十数年前の経験や知識にルーツがあり、その後の進化や変化に驚く部分も多いが、かと言ってその知見が今は役に立たないという感覚もまったく無い。むしろ、新しいサービスや潮流を解釈する際、ルーツの部分にある知見をベースに、「アレ」の現在版だなとか、昔あった「アレ」に、今の時代文脈の「ソレ」をミックスしてきているなとか、そんな感じで解釈すると、大抵は芯を外すこともなく、理解活用ができる。


元々、自分はリスティング広告のキーワードはキーワードと思っていなかった。キーワードとは、生活者の願いや興味、不安や希望など意図が「結晶化」したものであり、絶えずその姿を変え大きさを変えていく生き物のようにものと捉えていた。運用者は、生活者の意図、気分→広告や出し面→ランディングコンテンツ(広告自体がランディングコンテンツの場合も)の整合性をデータに基づいて整え、それらをグルーピングしキャンペーンにまとめて成果を伸ばしていくところに腕の見せ所があり、この基本原則は新しい広告でもなんら変わっていないと思っている。AIやオートメーションはこれらの取り組みをサポートしてくれるが、芯の部分は変わっていない。


そういう意味で、デジタルのキャリアの最初にこういった事に現場で取り組む事ができたことは、自分にとってかけがえのない経験であったと思う。また「結晶化」「データ化」された生活者の意図を広告として売り買いできたり扱うことができるところに運用型広告の凄さ、新しさがあったと考えている。そしてそれらの取り組みを通して、自分はデジタル文脈での課題解決の縮図を学んできたと思う。これは、多くの運用型広告出身のビジネスパーソンが共通して持っている感覚なのではないだろうか。


ネット広告運用者が支える未来

ネット空間を筆頭に、私達が生活する場は情報で溢れている。しかし、ネット広告、eメール、DM、大きな予算を投じて作られた広告やコンテンツの多くは、無視されるか、ゴミ箱へ直行することになる。生活者の意図や気分にそぐわない情報は生活者に受け止められる事もなく、消えていく。そんな中で、企業が製品やサービスに関するメッセージを発しても、生活者に届かせる事は難しくなっており、やり方が上手くなければ、ネットや生活空間にごみを撒き散らすこととニアリーイコールになってしまう。


一方で、現代社会で生活するということは、企業(個人や、企業でない事業体の場合もあるが)が提供する製品やサービスを利用し、購入することの連続でもある。生活者の意図や気分を企業の提供する製品やサービスとマッチさせる取り組みの価値は今後ますます高まっていく。世の中を生活者と企業の双方(企業は生活者で構成されており、逆もまた同じ)に有益なものにしていくため、これはネット/リアル関係なく求められていることでもある。GDPRなどの新しい決まりごとも、こういった状況を反映している面もあると思う。


ネット上で連続的網羅的に取得されたデータに基づいたデジタル文脈での課題解決は、成熟しつつ、また新たな地平に向いつつある。そして、その解決手法はWEBだけでなく、リアルでも応用されるようになってきた。古くなった、現状にそぐわないビジネスモデルをリビルドし、好ましい未来を作っていく取り組みのヒントがこの中にあるような気がしている。あたらしい潮流や技術に耳を傾け、同時にベーシックを理解し、ベーシックに回帰することが新しい一歩につながっていく。


ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは・・・と方丈記の出だしにあるが、流れの上から見ればデジタルの栄枯盛衰も非連続的なものにも見えるかもしれない。しかし、流れの中に飛び込んでしまえば、案外過去からの連続性や基本原則がはっきりと見え、違う景色が見えてくる。


運用型広告出身者の身の置所がここにあると思う。そして、運用型広告出身者が現場に戻り、未来を作っていく素地は整っていると考えている。

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